頭蓋骨から恥骨へ向けて

写真を撮ったこと、考えたことの記録

僕はもう、悩んでさえいればいいのだ。

遅ればせながらfinalventさんの「考える生き方」を読んだ。
これまでの人生をどうやって歩いてきて、どこで躓いて、
よろけながらも前に進んできたのか。
そんなことが書いてある本だった。



ちなみに山形浩生はけちょんけちょんに書評していて、
実は僕も同じような感想を持ったのだった。自費出版の伝記みたいな本じゃん。確かに。
でも僕にはnot for me.じゃなかった。for meだった。



全然普遍的な内容じゃないように読める。
ただの個人の人生の歩み。誰が子供作ったとか、どうでもいいんじゃないの?
まあ、そうなんだ。
どこかの知らないおじさんが学歴で躓いて子供できて病気になったとか、どうでもいいじゃん。
でも、僕には分かる。分かったのだ。
誰かの思いっきり個別具体的な人生の苦楽から、普遍性が立ち上がる。
や、そういう話にする必要も無いか、ああ、これは良いセーブポイントだったなって思ったのだ。
お正月にじいちゃんが、夜に酔っぱらった親父が一瞬人生を振り返って言う。
「あんな、人生ってのはな、社会ってのはな・・・」
だいたい、応用が効か無くて信頼できないんだけれど、たまに思い出してハッとする。
そういう、おっさんがぽいっと置いといてくれるセーブポイント



日頃のブログ内容から察するにfinalventさんの勉強量は凄いし、
ただの知識が身体に馴染んで使えるようになるように実践もしている。
まあ、僕は正直、全然そんなのできないので参考にはならない。
で、参考にならないからこそ、得るものがあったよ。
人生の苦難に自分よりも能力の高いおじさんが挑んでみたものの、
挑んではいるものの、敗北続きだった。
自分のハゲに悩み、未だに病気が怖いんだって。
ああ、なら、それでもういいじゃん。
ハイデガー道元小林秀雄もカントもあれやこれも知っててもハゲに勝てないんじゃん。
ヨガしてジョグして水泳しても老いていくのは怖いんじゃん。


僕自身もマルファン症候群という超怖い病気を抱えており、
いつ血管ぷっちり切れて死ぬやも分からん。
しかも、finalvent家と違ってうちは子供に恵まれなかった。
託すべき希望の宛先とやらも、なんか無い感じなのだ。
ま、でも、いっか。と僕は思った。


いっぱい勉強して、努力して、考えてもハゲには負ける、病気は怖いらしい。
それは、今夜の晩ご飯、何にしようか?と、いう悩みが毎日訪れるくらい、
普通の、日常的な、そして誰にも克服なんてできやしない問題なんだってことだ。
個人の能力なんて、どうでもいい感じみたい。
ああ、じゃあ、僕もこれまで通り、これからもずっと病気や死や孤独に悩んでいればいいのだ。
悩んで考えていれば、なんか、それで生きてるって感じなんだろう。
なんだか、そんな納得というか、吹っ切れることができた本でありました。
面白かったです。



おしまい。