頭蓋骨から恥骨へ向けて

写真を撮ったこと、考えたことの記録

輝いていないけれども心を揺らすもの、輝く女体

写真を撮るとき、選ぶとき、何かを感じることと同時に、きちんと考えることも重要だ。感じるだけの写真だといいねがたくさんついておしまいの写真になってしまいがちだからだ。かといって、あまりにも、考えだけが先行したコンセプト重視の写真は単にあまり好きではない。それは、笑いに似ているかもしれない。ただ面白いだけでもなく、うまいこと言ってるだけでもなく、うまいことを言うことが必然的に笑いを催おさせるもの。そういうものを愛したい。


そのようなことを踏まえて、撮影対象として「あまり輝いていないけれども、心を揺らすもの」を選んでいる。眩しく刺激的に輝いて目に飛び込んでくるものは、画面の全体を観る冷静さを僕から奪い取ってしまう。僕がみたいもの、写真として止めておきたい光は、刹那的に周囲を照らして耳目を集める花火ではない。全ての遮蔽物を無視してこの世界を貫いているような静かで、徹底した光だ。


眩しく輝くものの一例は裸である。問題は、世界の男は二つに分けられるというところだ。つまり、女の人の裸を見慣れているものとそうでないものだ。僕は分けられた世界で女の人の裸を見慣れない族として暮らしている。女の人の裸の前で冷静になれないし、フレーミングもできない、そう自覚させられたのが次の記事を読んだ時のことだった。

ソス:ええ、その通りです。私はエド・ファン・デル・エルスケンによる足にギプスをはめた女性の写真が一番好きなのですが、この写真をご存知ですか? 彼女はスキーリゾートのような所にいるのですが、窓のすぐ内側に寝そべっていて、足にはギプスをはめているのです。本当にあれは素晴らしい写真です。

ホンマ:それは白黒の写真ですか。

ソス:いいえ、カラーです。本当に素晴らしい写真です。実際、私はこの写真についての文章を書いたことがあります。この写真です。本当に好きだ。

ホンマ:この写真、僕は知りませんでした。外もとてもはっきり見ることができるのに、同時に内側も見えていて、不思議ですね。



madoken.jp

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Ed van der Elsken の写真

僕がEd van der Elskenの写真をみたとき、最初に思ったのは「いいお尻だな」ということである。お尻は僕から、構図を探し、露出を決め、シャッターを押す貴重な時間の幾らかを奪うだろう。窓からの光を幾分かみえにくくするだろう。“外もとてもはっきり見ることができるのに、同時に内側も見えていて、不思議ですね”と、ホンマタカシさんは言った。僕はいいお尻だな、と思った。人には向き不向きがある。あまり輝いていないものを今後もみつめていくべきだ、と僕に思わせるのには十分な出来事だった。