だいたい空か、ネコ、犬、おしゃれなカフェのカプチーノ。あとはちっちゃなサボテンね。
大事な人を撮りましょう。
と、小薮先生はおっしゃっており誠にそうであろう。
だが、つまり、それはイコール、
空か、
猫あるいは犬、
おしゃれなカフェのカプチーノ、
あとはちっちゃいサボテン。
ということでもある。
小薮先生のお子様は世界で一つの、思い出かもしれないが、
誰にとっての空もそういう「世界で一つの」でありうる。
3000枚に1つの奇跡のカモメのショットはつまり、
300000枚に1つの奇跡のカモメのショットに劣る、というわけでもない。
重要なのは、それは誰にとっての奇跡だったのか、みたいな話だ。
大事な人をゲットするためには、時には、
空、猫か犬、おしゃれなカプチーノ、ちっちゃなサボテン。
で、武装する必要が生じたりもする。
何も分からず、イキるにイキり散らかして恥をかいて、
それでやっとこ、好きな人に振り向いてもらえたらそれはそれで。
それで、僕が思うに、つまり、人の幸せというものは、
だいたい、
空か、
猫あるいは犬、
おしゃれなカフェのカプチーノ、
あとはちっちゃなサボテン。
みたいに、とるに足らないものを愛おしく想い、
それ以外の全ての他者を、自分がイキるために、
ノイズとしてボケにボカし、
浮き上がらせるイキり根性によって成り立つ。
そういうもんなんじゃねえの、と。
そういうとこ、あるんじゃねえの、と。