日の終わり、人のかたち
きっちりと一日が終わったのだなと感じる日は少ない。
夕陽が見えたらそれを感じることができる、こともある。
僕は一人でいられない人間だ。
でも、たくさんの人間といると疲れて息絶える人間でもある。
どれくらいの数なら、距離なら僕は寂しく無く息苦しく無いんだろう。
寂しくて眠れず、疲れて死にかけ、なんとなく今はこの辺り、というのが分かる。
コミュニケーション能力。 そんなの、才能の問題じゃないんだ。
と、僕は新人君に言う。
スキルの問題なんだよ、だからね、いちいち交渉ごとで傷つく必要は無いんだ。
嘘だ、と、僕は思う。必要だからつくけど、それは嘘だ。
あらゆるスキルというものは身体と精神に付いた瑕疵なんだ。
傷ついて磨り減ってを繰り返した結果の形状が僕とあなたを分かつカタチであり、
そのカタチの一部が技や想いなのだ。
君がしんどいのは当然なのだ。
なんのために働くのか。それは食うためだ。
食うために傷付き磨り減るのか。そうだ。
何故食う必要があるのだ。
それは。
それは、たとえば、夕陽に触るためだ。
傷付きも磨り減りもしない、食うことの何の役に立たないものに触れるためだ。
僕のカタチに関与しない全てのものが、しかし、生きる望みというものだ。
本当に。
本当に?
全部、嘘に決まっている。
でも、壁に落ちた夕陽の感触はどこか本物って感じだろう。