頭蓋骨から恥骨へ向けて

写真を撮ったこと、考えたことの記録

2015年の春に咲いた桜

毎年なんらかの焦燥感、期間限定、撮らねば、という、
花鳥風月を愛でる気持ちとは無関係の動機で桜を撮りに出かけてしまう。
半ば強制的に身体疲労を押して行くこともあるので、
すこぶる機嫌が悪いこともあるにも関わらずである。
そうしたものが何の欲望であるのか、未だに掴めずにいるが、
特に知りたいとも実は思わない。