Komm, süsser Tod
俺は、窓の外を見ていた。
医者は俺の劣化したバルサルバ洞を取り除き人工物と置換した。
人工血管にはロットNo.が存在する。
トレーサビリティは完璧なのだった。
誰かのそれに問題があると判明すれば同じロットNo.の改造人間は、
すべて再置換手術を受けることになる。
俺が最初に倒れたとしたら残りは助かる可能性があるということ。
逆もまた然りである。
俺は、窓の外を見ていた。
光が何の断りも無く、部屋に入ってきた。
仕事に復帰はしたものの、うまくいかず、精神を病んだ。
適応障害というものらしかった。なお、置換はできないもよう。
トレーサビリティも特に無いので部屋に寝転がっていた。
俺の弱さが何に由来するのか?簡単なことだった。
俺の存在そのものに、だ。
もうすぐ枯れそうだね。もう駄目だね。
妻が食べた後の種を鉢に植えただけのアボガドは何とか生きていた。
あれから2年、いや3年?経とうとしているが、未だに枯れてはいない。
外に出かけようと、妻が言った。
カメラを持って散歩をするだけが楽しみだった、気がする。
あるべき姿。ゴール。本来のカタチ。
そうしたものを達成せよ。
前職での日常であった。
不景気で物が売れず、立ち上げたラインはうまく動かず、
弱い人間から徐々に潰れていった。
『君が考えるあるべき姿とは何なのだね』
『いったいどうしたいのだね』
『なぜ、それができないのだね』
キッチンにはハイライトとウイスキーグラス
どこにでもあるような家族の風景
七時には帰っておいでよとフライパンマザー
どこにでもあるような家族の風景
(ハナレグミ/家族の風景)
たとえばそれが俺のあるべき姿だったとして、
それは駄目になっても置換できるようなものでなかったとして、
誰かの尊い犠牲も活かすことはできなくて、
俺の存在の弱さのせいであって、どうしようもなかったとして、
それでもどうにかしなくてはいけないものなんて、
あるもんかと思った。