頭蓋骨から恥骨へ向けて

写真を撮ったこと、考えたことの記録

妻の生まれた町を歩く

知人の個展を見に東京に行った。



その日の夜は、妻が暮らした家に泊まり(今は妻の兄が一人で暮らしている)、
あくるひの午前中は犬の散歩をしながら、妻が育った町を歩いた。



僕はひさしぶりにちゃんとカメラで何かを撮る、みたいなことをした。



物音がしない住宅街で横で妻の解説を聞きながら歩く。
猫の死体を発見して、ひとりで埋葬をした雑木林。
いつも丁寧に手入れされた庭があって、いつかそんな風に住みたいと思っていた家。
バブルのころに高額で売り出されていた豪邸。
犬の散歩のとき糞尿をさせるために2段目まで上がっては引き返していた階段と坂。
なんでもない公共の工事で作られた小道。
でも、幼い妻にとっては「素敵な小道」だった小道。
横から妻の声が聞こえる。
暑いので犬が呼吸で体温調整をする音が聞こえる。
ぱちんぱちんとシャッターを切る。
いつか、どこかで、何度も聞いた場所。
夢でも幾度か見たような場所、が、全く違うものとして提示される。
こちらが、まぎれもない本物なんだ、という感慨。
郷愁の実物が、目の前にある。
そして、妻は、かつて、それの、一部だった。